不登校は寄り道なのか?

連載「わたしの寄り道つみ立て貯金」 いいくぼなおみ

不登校は寄り道なのか?

中学受験を失敗で終えた私は、
公立中学校に通い
学ぶことのなさに辟易していた。
中学校で学ぶハズのこと殆どを
小学生のうちに終わらせて
しまっていたから。

唯一、救われたのは部活の存在。

朝早くから朝練、
昼は授業中に睡眠学習。
放課後は練習。

とにかく、
毎日のように学校に通った。

帰り道の楽しみは
友達と3人で
帰路の途中にある交番に寄って
お巡りさんたちとのお喋り。

試験前の1週間は部活が休み。
試験勉強なんてしないで
ひたすら漫画を読んでいた。

さまざまな経験を経た今、
分かったこと。
わたしは
練習だけが好きということ。

なので、
3年生の夏の部活の引退と共に
学校に行かなくなった。

ちょうど
その頃に母が事故に遭い
寝たきりの入院生活が続いたので
学校側では手伝いのための
休みと都合よく見てもらえた。

母が退院するまでの
数ヶ月、
ほとんど学校に行かず、
なんとなく過ごしていた。

それまで、
ただただ部活に没頭して
生きていたので、

「とても真面目な生徒」の

レッテル付けもされていたので
担任の先生ですら不登校と
考えてはいなかった。

これ、
結構、当時の人間としては
幸せな状態なんですよね。

ベビーブームな
時代に生まれているので
受験は戦争。

欠席日数3年間で1週間以内がベスト。

結局、
私は偏差値を20以上下げて
県内で最もヤンキーが集まるって
言われてた高校に通うことになった。

なんとなく
小学生の頃から学校の先生に
なりたいと思っていた私は、
ここで、夢を一つ諦めた。

しかし、
大きく偏差値を下げて
夢を諦めさせたはずの
この高校は、私にはパラダイスだった。

中学生のうちに
悪いことの殆どを終えて
達観した境地の人々が集まる学校。

そんな生徒たちと
仲良くやっていける先生が集まる学校。

生徒も先生もキャラが濃すぎ。
しかも、無意味な対立がない。
無駄に反抗しても
自分の楽しい時間が奪われるだけ、
そんな風に多くの生徒が考えてるから。

真面目な世界しか知らず、
堅苦しい価値観が
どうしても合わない私には
この環境がとても楽しかった。

授業を真面目に進めようとする先生と
授業をサボろうとする生徒との攻防は
まさにコント。

学園祭用に巨大な旗を作ろうと
先生と生徒で学校の近所の
◯◯ホテルにシーツをもらいに
行ってるクラスがあったり、

先生と生徒で
バレーボール対決をやってたり、

勉強で分からないことがあると、
廊下を歩いてる先生を拉致して
補習授業をさせたり、、、

授業中、
一言も喋らない先生がいたり、、、

パンチパーマ、トレンチコートな
教頭先生がいたり、、、

先生と生徒でガチ缶蹴りやってたり、、、

クオリティの高すぎる
宇宙刑事ギャバンがいたり、、、

レフ板、カメラを抱えた
写真部がブッチ切りで
リレーを走り抜く体育祭。

先生たちがガチでコントに
取り組む文化祭。

みんなが学校生活を
心から楽しむ。

世の中にはこんなに
面白いことができる

世の中は解釈を変えれば
面倒も手段にできる

結果は一つでも
プロセスは選び放題

こんなことを
この楽しい学校生活で学んだ。

大学に進み、
教育業界でアルバイトを始めた時。
ここまでの
経験は本当に役に立った。

不登校がなぜ起こるのか?
理由なんてないよ。
なんとなくだよ。

ここがわかるだけで、
生徒たちとの距離が縮まった。

キャラが
濃すぎた高校の同級生たちは
学習の習熟度が
残念なことが多かった。
一方で興味のある分野は
大人顔負けの知識や情報を持っていた。
彼らとの対話では
言葉を噛み砕いたり、
彼らの理解の幅を確認したり、が
常に必要だった。

これは、教育の仕事だけでなく
職場の交渉ごとで半端なく役に立った。
もちろん、営業・渉外の仕事でも。

で、
教育業界での仕事では
5社を渡る中で、
最後には業界最高峰の環境にて
トップの結果を出すことに
貢献することができた。

今、振り返る。
学力が大切と思われがちな
教育業界での仕事で
私が結果を出せたのは
不登校という寄り道と
学習の世界から離れた
底辺校という大きな回り道、
これらがあったから、
私はトップを手に入れた。

寄り道、回り道。
私にとっては人生の積立貯金が
できる場所。
積み立てたものは突然に
放出され、
自分のステージを一気に上げてくれる。

そして、
真っ直ぐな一本道では
得られない
人に優しくなれる愛おしい時間。

執筆者

いいくぼなおみ Naomi Iikubo

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