寄り道しがいがある旅

連載『気が付けばガンジス川』 上杉惠理子

寄り道しがいがある旅

2月になると毎年、Facebookの「思い出」機能で、アンコールワットの写真が出てくる。

2015年の2月。10日間ほど休みをとり、カンボジアのアンコールワット遺跡への旅をしたときのものだ。

この旅を計画したとき。最初はパック旅行の方がお得だし手配も楽かなぁと、某格安航空会社のカウンターに行った。

カンボジアの首都プノンペンに行ってから、アンコールワット遺跡があるシェリムアップに行きたい旨を伝えると、プノンペンが入ったツアーは無いと言われた。「プノンペンに行っても、何もないですよ~」と男性スタッフに笑われて、勉強し直してこいと睨みつけたくなった。

当時、カンボジアには日本から直行便は飛んでおらず、アンコールワットの観光目的であれば、タイのバンコク経由でシェムリアップ、もしくはベトナムのホーチミン経由でシェムリアップに入るルートが主流。首都プノンペンに行く日本人は、ビジネスパーソンが少しいるだけだった。

だけど私は、アンコールワット遺跡に行くなら、まず首都プノンペンに行ってからにしたかった。

カンボジアはベトナム戦争が飛び火した内戦が続いた歴史がある。内戦が終結したのは、そう昔ではない1990年のこと。カンボジアの内戦で特筆されるのは、国内で大量虐殺ジェノサイドが起こり当時の人口の約1/4、約200万人が犠牲になったことだ。

首都プノンペンには、その内戦の歴史を生々しく伝える施設がいくつかある。有名なところが、トゥールスレン収容所、そしてチュンエク処刑場跡。カンボジアに行くなら、このふたつに先に行ってから、アンコールワットを目指したかった。

パック旅行がないなら、個人手配だ。ベトナム航空のサイトで成田ーホーチミン間の往復チケットを購入。ネット検索やあらゆるツテを駆使して宿を見つける。ホーチミンに着くとまずはバス停を確認しに行き、切符を買ってバスの席を押さえた。

振り返ると実際の旅の半分も、移動と手配に関わることで過ごした気がする笑

めんどくさい人間になってしまったと、自分でも思う。行きやすいルートでアンコールワットに行って、綺麗だね~素敵だね~と観光して満足できればどんなに楽だろう。楽しいだけで済まない目的地のために、快適とは言いがたい旅に付き合ってくれる友人を探すのも一苦労だし、万が一のことがあったら巻き込むわけにもいかない。

誰に声をかけるでもなく、自然とひとり旅になった。

ホーチミンからプノンペンへのバス旅は丸一日を使い、7時間ほどだった。バスの中ではたまたまアフリカで青年海外協力隊を終えたばかりの同年代の女性と隣になり、いろいろな話をした。国境を徒歩で通過し、メコン川をバスごと渡った。灌漑設備が整い青々とした畑が続くベトナムから、カンボジアに入ると景色は土埃が舞う茶の大地に一変した。

プノンペンでは日本語を勉強している学生さんがガイドを引き受けてくれて、トゥクトゥクでトゥールスレンとチュンエクに連れて行ってくれた。トゥールスレンで彼がふと「僕のお父さんはここに収容されそうになったらしい」と話してくれた。チュンエクでは数えきれぬほどお骨が納められた慰霊塔を木々が囲み、自然の緑が人間の悲しすぎる歴史を癒してくれている気がした。

プノンペンからさらに一日かけて、バスでシェムリアップを目指した。シェムリアップでは3泊し、アンコールワットには時間帯を変えて3回行った。アンコールワット以外にも見たかった遺跡にも行けたし、一ノ瀬泰造さんのお墓参りもした。宿は日本人経営のゲストハウスで、毎晩ビールを飲みながら旅人たちといろいろな話をした。

プノンペン経由のバス旅ルートは私にとっては冒険だと思っていたけれど、タイ北部から国境を越えたり、ラオスから陸路できていたり、もっとマニアックなルートを辿っている人たちがいた。

そして帰りのシェムリアップからホーチミンへは、2日かけたバス旅ルートの上を、たった1時間のフライトで戻ってきた。

このアンコールワットへの旅は、今でも私の人生で最高の旅だったと思う。プノンペンでの時間は、予想通り、その後の旅の充実度を決めた大切な寄り道だった。

またあんな旅をしたいと思う。

でもどこかで、あんなにも充実した旅は、もう二度とできないんじゃないかなとも思っている。

できるときにやっておいてよかった、寄り道の旅。


執筆者

上杉惠理子 Eriko Uesugi

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